TransracialとTransgenderを同じように語れるか

トランスジェンダーをぴったりと表す日本語はない。「性同一性障害」が性格的には近いだろうが、もっとカジュアルに「生物学的性とアイデンティティとしての性が一致しない(ような気がしている)」と言い表した方が実情に近いだろう。
欧米圏の保守派はよくトランスジェンダーに対するカウンターとして「トランスジェンダーに正当性があるなら、トランスレイシャル(人種同一性障害?)も認めるべきではないか」と議論を俎上に上げる。
しかし、トランスレイシャルの正当性はともかく。ジェンダーと人種を同じように語ってはならないと私は思う。
人種におけるジェンダー概念の不在
ジェンダーなる概念は、セックス=生物学的性なる概念を抜きにして語れない。
男と女なる区別は生物学的に生まれたときから決まっているのではなく、象徴的な、人間の認識を介した性がある、あるいは想定できる。ジェンダー概念の誕生である。
ただ、人種概念においてはセックスージェンダーに値する生物学的なものと象徴的なものの区別がない。少なくとも浸透はしていない。
人種概念は見た目に準拠している。昔のヨーロッパの学者が世界の人々を人種で分けたとき、根拠となったのは第一に見た目だった。DNAによるハプログループ(Y染色体・MTdna)による生物学「人種」による区分が登場したのは、身体的特徴に基づく人種区分の発生よりもだいぶ後である。それに、人間はDNAを身体器官では感知できない。視覚でも触覚でも。
ハプログループが人種概念になりうるのかどうかは置いておいて、見た目に準拠しない物質=DNA情報で人を区分する方法がある。
大変なのは、どこでDNAをくくって人種概念とするかどうかである。大雑把にくぎれば人種は4つほどになり、細かに区切れば200ほどの”人種”が発生する。
見た目・身体的特徴による人種区分に潜む罠
「白人は彫りが深い」と日本人は思っているが、それは全世界的な理解方法ではなく、アジア中心主義的な解釈方法(より正確には、東アジア人中心主義?)だ。
オーストラリアの原住民であるアボリジニ は、ヨーロッパ原住民=白人と比べても非常に目元の彫りが深い。もちろん皆同じ顔をしているわけではないので、中には白人よりも目元の彫りが深い人がいるが、平均的にはそうである。
白人の特徴を「鼻が高い」と日本人は思っているが、とうの西・北ヨーロッパにおいて「鼻が高い(鼻が大きい)」人たちとして挙げられるのはイタリア人やアラブ人になる。
つまり、日本人=東アジア人にとっての「白人らしさ」は、ユニバーサルなものではない。日本人にとって「身長の高さ」はイギリス人らしさ=イギリス人らしい特徴となるが、オランダ人にとっては背の低さがイギリス人らしさになる。
黒人にとっては髪の毛の真っ直ぐさは白人の象徴かも知れないが、アジア人にとっては逆に髪の毛が縮れていることが白人らしさとなる。
白人の定義について
白人の定義は意外とややこしい。だが、大まかに以下の定義がある
- 西ヨーロッパ・北ヨーロッパに元々住んでいた人及び子孫
- 西ヨーロッパ・北ヨーロッパ・アジア系を除く東ヨーロッパに元々住んでいる人及び子孫
- ヨーロッパに元々住んでいた人及び子孫
- ヨーロッパ及び中東・北アフリカの白人らしい特徴を備えた人=いわゆるコーカソイド
スペインの植民地などでは、アメリカ原住民が¼以下の場合白人と同じ権利と扱いを受けられたらしいが、今の感覚で彼らが白人と見做されるのかどうかは危うい。
混血も難しい問題である。見た目が白人らしければ白人なのかというとそうでもない。日常生活は白人として生きていけても、発言の受け取られ方は有色人種の血をひいている人とそうでない人とで変わる。
シャイリーン・ウッドリートクレオールの血を引いているらしいが、だれも彼女を黒人として扱わない。ジーナロドリゲスも黒人女性として扱われない。
結局のところ、「周囲の人間に白人と思われている/扱われている人間が白人である」としか言いようがない。日本では白人扱いでも、外国ではそうでないこともあるだろう。
また、例えば黒人と白人のハーフで完璧に白人に見える男性が100m競争の新記録を出したとして、白人と白人の両親から生まれた白人のように見える男と同じように白人のランナーを勇気付けるだろうか?
また、白人のように見える黒人の血が流れる両親から生まれた白人の場合は?
俳優の場合は白人らしく見えれば白人だろうが、スポーツ選手や学者など人種ごとに先入観がある場合は、扱いも異なってくるだろう。
ジェンダーと人種の切り口の違い
格闘技のルールを世界で共通できるのはなぜなのか?同じルール・規則で適用できる理由はどこにあるのか。それは「人種・民族問わず人体構造は同一的」であるからだ。
身長や手足の長さ、太りやすさなどは違えど、頭を打たれればふらつくし、首を締め上げれば息が止まる。手足の数も2本ずつであり、指の本数も同じだ。
ジェンダーに関しても同じである。どの人種・民族であれ、男と女がいる。どの人種・民族であれ、男はより強いし、背が高い。男は妊娠できない。生殖器も異なる。
つまり、ジェンダー概念はユニバーサル化できる。先ほど述べたように、人種概念はユニバーサル化できない。
トランスレイシャルの難しさと人種と民族の定義
黒人を「黒人として見なされている人」として定義づけるなら、白人として生まれた人が黒人としてみなされるためにすべきことはまず肌を黒くすることである。白人として生まれたが、自らを「黒人」と偽って政治家として活動していたレイチェルドレザルはそうした。
だが、黒人らしさ(アメリカにおいては特に、西アフリカ人らしさ)というのは肌の色だけではない。顎や鼻、髪の毛なども黒人らしさを形成している。
2020年現在の技術では、異人種の特徴に近づけることはできても白人を黒人に作り替えることはできない。
人種というのは、民族概念の集合として捉えればスッキリする。そして人種概念は多元的である。セックスージェンダーと違い、一つの権威が世界をまとめていない。オバマはアメリカであれば”黒人”かも知れないが、アフリカではそうではない。
二人の白人からは男も女も生まれうるが、黒人やアジア人が生まれることはない。人種概念を「見た目」「身体的特徴」ではなく、民族問題としてとらえれば、トランスジェンダーを認めてもトランスレイシャルは認めない人の視座が見えてくる。逆に、トランスレイシャルとトランスジェンダーを同じ箱に入れる人は、人種を生物学的なものとして捉えている可能性が高い。
(正直な話、そこまで考えている人は少ない。皆おのおのの都合のいいように論説をツギハギに援用する)
(オバマの母親は白人なのに、なんでオバマを初の黒人大統領とメディアが喧伝するのか。これは人種概念うんぬんの前に、宣伝文句のキャッチーさや劇的さを演出するためでもある)
「男」及び「女」も集合・集合名詞として捉えられるだろうか? 男らしい男と女性のように見える男は、同じ男だろうか。佐藤かよと藤田和之は同じ男だろうか?
ラカンか誰かが言っていたが、「男とは、女が好きな者である」こうやってジェンダーをスッキリ定義する方法もありうる。
まとめ:主張(ここだけは間違えないで)
私はトランスレイシャルを否定するわけでも肯定するわけでもない。私が言いたいのは、トランスジェンダーとトランスレイシャルを同じように語れないということである。
現に、トランスレイシャル(人種同一性障害←造語)の人物は存在する。私はそれを認める。レイチェルドレザル、桑田真澄の息子、BTSのジミンになりたくて整形したイギリス人の男……。

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