メンヘラと偽メンヘラと「モテる」ゾーン

メンヘラ気取りと本当のメンヘラのどちらが”悪い”のか考えている。自称・他称・真偽に限らず、メンヘラは迷惑だからである。
(そもそも、他人に迷惑をかけなければメンヘラとも認識されない)
自分の衛生に気をつけなくなることはうつ病のシグナルだとされてるが、メンヘラと見なされるような人でも、それほど不潔なわけではない。
偽メンヘラはモテるのか
メンヘラは決してステータスではない。メンヘラみたいな芸能人はたくさんいるが、メンヘラ=精神不安定さはビジネスになかなか繋がらない。
(今にも自殺しそうな人に、誰がコマーシャルを頼むのか)
モテにも繋がらない。偽メンヘラがモテるだとか巷で囁かれているらしいが、そんなことはないだろう。
しかし、誰かを必要としていない人より、誰かを必要としてそうな人=スキがある人がモテるのは確かで、となると
泰然自若/メンヘラの二項対立の中間に、「モテる」ゾーンがあることになる。
しかし、それは「メンヘラ」ではないだろう。「少し陰のある人」「スキがある人」である。あるいは、「放っておけない人」。
陽気なメンヘラ・怒れるメンヘラ
メンヘラというと暗いイメージが先行するが、急に陽気になる人も、急に怒鳴り声を上げる人も、精神的に不安定な人には違いない。
家庭内暴力に走ってしまう人、カッとなって人を殴ってしまう人などは、それらに該当するだろう。
暗い人であっても、常に感情をコントロールできているのなら、それはメンヘラではない。ただの暗い人である。
逆説的だが、メンヘラあるいは精神的に不安定であるためには、安定している状態があることを意味する。
メンヘラと世間
ジャッキーチェンが、「映画に言い訳してはならない。観客にとって存在するのは作品だけだ」とどこかで言っていた。
世間は残酷である。「このシーンは、女優がNGを直前になって出したせいで、中途半端は打撃しか繰り出せなかった。ほんとうはもっとハードに体をバットで打つはずだった」なんて、観客は汲み取ってくれない。
あなたの苦労は、世間には伝わらないのである。伝わったとしても、その他大勢の苦しみと差異はない。家族は別だろうが。
自称うつと本当のうつは、世間の目からは同じにうつる。
「私はポーズだけのメンヘラではなく、本当のメンヘラである」と信じてもらうためには、自殺未遂を起こすか、カッターナイフをもって暴れるしかない。
鬱ならば、最低半年は何もせずに天井を眺めながら暮らす生活を送らねばならない。
そしてなおかつ、あなたは「かわいそう」でなければならない。キモくて金のないおっさんではダメだし、性格の悪いお局おばさんであってもダメである。こちら側はスカッとジャパンの悪役(?)に属する。
(メンヘラと認定されるためには、善玉、少なくともニュートラルでなければいけない)
メンヘラとの近さ
「遠くで見てる分には楽しい」人物として、横山やすしが挙げられる。そんな彼も、生前なら笑い話にならなかったろうが、亡くなってもう時間もたったいま、コンテストの採点の不正だとか、後輩を連れ回す迷惑っぷりも笑える強度になっている。
これは、ジョロキア・ハバネロがそのままだと痛みを与える化学兵器としか機能しないのに、薄めてつかうと調味料になる流れと似ている。
メンヘラに関しても同じことが言える。
(偽メンヘラがモテるというのは、加工されたスパイシーなスナックが好まれるのと同質)
「精神的に不安定」であることは、性別問わず加害性の象徴である。それが内・自身に向かうと「メンヘラ」扱いになり、外に向かうとただの加害者扱いになる。
ドメスティック・バイオレンスの実行者も、精神的に苦しんできた方たちがいるかも知れないが、情状酌量はありえても、世間の同情・理解は得られない。

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