(アメリカの警察への)冗談の通じなさについて

不気味の谷間、あるいは不気味の谷現象について、この現象(?)は冗談やアイロニー にも応用して考えられるのではないかと唐突に思った。

冗談だと明らかにわかる、発話者に明確に、メッセージ(パッセージ)を本意で述べているわけがないとわかるもの、状況。

お笑いコンビのジャルジャルは、雑誌等々のインタビューにおいてかつてはアロマオイルの営業をしていた、離婚歴があるなどデマカセを言ってそれがそのまま事実として記者に受け止められたことがあるそうだ。

ジャルジャルがもし「実はアフリカの王国の国王である」などの明らかに嘘とわかる嘘をついていたのならば、記者も冗談だとわかったろうに、ありそうな話を冗談として語られたせいでそのまま信じてしまった。

アメリカの警察の冗談の通じなさについて

PoliceActivityなるYouTubeのチャンネルをよく見ているのだが、つくづくアメリカの警察は冗談を解さないと思う。

おもちゃの銃を実銃として解釈したり、ベッドの下に手を入れただけで人を撃ったり、「今から打つぞ!」と宣言だけして道に出た人を撃ったり、手を後ろにしてカウントダウンをはじめた手ぶらの人を撃ったり、とにかく人を撃つ。

冗談である。

アメリカの警察はなぜ「この人は銃を持っていない/撃つ気がない」可能性を極端に考慮しないのか。

アメリカの警察も別に無差別に人を撃って無罪になる不逮捕特権者・超法規的存在であるわけではなく、ちゃんと不当だと判断された場合は起訴されている。

また、銃を所持している場合であっても警告はしてくれる。銃の種類にもよるが、およそ警察が致死的な状況にいたるまでは「Put your gun down」だとか「Get on the ground」などと叫んで、まずは無力化をはかってくれる。

ときおり「銃を撃つべき状況でない状況で銃を撃たなかった」警察官が処分されたりしている。「彼は撃たないことをわかっていた」としても、撃たなければあなたは失職する。

理屈はわかる。仮に警察の銃を撃つハードルの高さ(銃撃許可条件のクリアの困難さ)が法規的に

現在よりも厳しく設定されてしまえば、ただでさえ危険な職務がさらに危険になる。

仲間の殉職だけで済めばまだマシだが、市民に危害が加えられそうな状況でも銃撃がなかなかできないようになってしまう(法定されてしまう)のは危険だ。事実、銃の使用が遅れたために人質がなくなってしまったケースを見たことがある。

アメリカの警察のプログラムは、言うなれば「言質」が権威をもって作用する世界である。借用書がなくとも借金の返済義務は生じたり、成文化した犯行声明がなくとも犯行の意志が認められるのと似ている。

(犯行予告・殺害予告そのものが既に犯罪である点にも留意せねばならぬだろう。犯罪予告者はしょっぴいて良いのだ)

もちろん不当逮捕に値する状況は存在するが、それを証明する場=裁判の場は現場ではないのだ。逮捕権と裁判権が分離している近代的権力構造である。自警団はその点、法治原理ではなく人治原理で動いている。私は法治を好む。

冗談の対義語としての証言

冗談の対義語として、「証言」が設定できるのではないかと最近考えている。裁判における被告人及び原告が発する「証言」の証言。

もちろん、証言が真実及び事実と合致するわけでは必ずしもないが、「冗談」にしたって嘘から出たまことなる成句にあるように、本当のこと・本当のことになるかも知れないのだ。

忘れてしまいがちだが、言説そのものだけで冗談であるかどうかは決定できない。判断されない。「私はハワイ王国の王である」という言説は、ハワイ王国の王が言えば単なる自己紹介である。

常に(比喩としての)裁判所が冗談なのか証言なのか嘘なのかどうか審判している。そう考えるとスッキリする。

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桜田真助
  • 桜田真助
  • Twitterアカウント:@kingofgatayama
    92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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