被害者意識≠弱者意識 頑張れ!

「ホロコースト否認」について、前から不思議に思っていた。ユダヤ人の虐殺はなかった、ガス室はなかった、ホロコーストはなかったと主張する連中は、ユダヤ人を心の底から憎んでいる。そして、「ユダヤのメディア支配」だとか、「ユダヤの金融支配」「ユダヤの世界支配」を信じている。

ユダヤ人がそれほど憎く、また彼らが社会を裏から操る邪悪な存在なら、むしろ虐殺を誇るべきではないかと思うのだが、そんなに単純に物事は進まないらしい。

彼ら(社会的には、「ネオナチ」とか「白人至上主義者」のタグを貼られている集団)のなかでは、こうなっている。

「ユダヤ人がありもしないホロコーストを捏造し、ドイツ人を陥れた。それにより、彼らは賠償金などを手に入れ、イスラエル建国の地盤を作った」

被害者意識(イコールでは結び付けられないが、「victimhood」と英語圏では呼ばれている)は、弱者意識ではない。弱さを振りかざして被害者アピールをする人たちは珍しくないが、ホロコースト否認は「まっとうに生きてきたはずが、邪悪な存在によって陥れられた」というナラティブの下に発生している。

被害者意識とは、弱さを振りかざすことではない

「社会的弱者」とはなにかーー例を挙げれば、障害者だとか、老老介護家庭、ホームレス、無職の人など。

「経済的弱者」「恋愛弱者」「情報弱者」と細分化・カテゴリ化もできるだろう。どんな分野においても、「不利な状況に置かれた人」というのは存在する。

被害者意識・victimhoodの下に生きている人、あるいは「プロ被害者」と呼ばれている人たちは、「我々は社会的弱者である」という前提のもと、必ずしも主張を展開しているわけではない。

彼らの言明は「このシステム・構造は私(あるいは我々)に対し、不公平である」といったもの(だから、先進国の人間でも上述の言説を主張できる)。

例えば「女性は男性に比べ不当に扱われている」「女性の従業員に対し、賃金が正当に支払われていない」「黒人の若い男性は、武器を所持していなくとも警察によって不当に銃殺されている」

自己正当化と愚痴/社会変革の難しさ

不平不満というのは、「私は恵まれている」「私は搾取している・加害者である」という見地からは出てこない。「私は不幸だ」「私は不当に扱われている」という立場から、不平不満と、victimhoodが発生する。

特定の集団に対し「この集団は社会において不当な扱いを受けている」といった言説を展開できる。もちろん、男性と女性とでは興味の幅も違うし、人種ごとに得意な分野も異なるので、画一的に語ることは難しい。

本来受けられるはずだった恩恵・恵みを、依怙贔屓あるいは差別によって、受けられていない。あなたは悪くない。悪いのはシステム・社会である……。

ほんとうに女性は社会において不当な扱いを受けているのか、黒人は警察の暴力に晒されているのかどうか検証はしない。

しかし、一つ確かなことはある。それは「社会を変えることより、自分を変えることのほうが簡単だ」ということだ。

変革や行動を要求しない活動家は、聴衆に「あなたは悪くない」と肯定の言葉を語り続ける。その活動。・活動家を断罪しようとは思わないが、被害者意識に囚われたまま、大きな仕事を成し遂げるのは難しいだろう。

人間というのは、本能的に省エネ志向だ。「どうせ頑張っても報われない」のなら、頑張らないのが人間である。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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