ウイグル話法とWhataboutismの正義

ウイグル話法なるものがツイッターなどで話題になっている。例えば、日本における外国人差別や女性差別を話題にし、日本社会の差別性を指摘する人に対して

「なぜ貴方はウイグルの人権問題に関して発言しないのですか?」

と、尋ねるといったもの。

英語だと、これはwhataboutism と呼ばれている。

かつてソ連がソ連国内の人権侵害について指摘された際、アメリカの人種隔離法案について言及し応答するといったスタイルで、多用されたとか。

ウイグル話法が論点ずらしであるのは間違いないが、これを詭弁だとか屁理屈だと一蹴できないところに、この話法の面白さがあるだろう。

一貫性とダブルスタンダード

ホワイト・フェミニズムなるワードがある。西欧で主に用いられる言葉だが、これは「”女性差別”をいつも訴えているが、その実 白人女性に対する差別しか問題にしておらず、マイノリティ女性の境遇を無視しているではないか」という指摘を、皮肉っぽく表現したものだ。

例えば、「女性差別を考えるシンポジウム」が開催されたとき、ポーランドとかならともかく、アメリカなのに10人のホストが全員白人女性だったりするとき、公平な選定だったとしても、そこに差別を見とることはおかしなことではないだろう。

ウイグル話法にしたって、例えば中国人の方が「日本には中国人差別がある」「差別のない社会を目指そう」と主張しながら、その裏で「ウイグル人はテロリストだ」「あいつらはゴキブリである」と主張していたとしたら、差別撤廃の訴えの訴求力は間違いなく低下する。

少し誇張したシチュエーションを語ろう。

百貫デブが語るダイエット理論に、どれくらいの訴求力があるだろうか?その理論がいくら科学的に・統計的に正しかろうと、骨と皮しかないようなガリの提唱する間違ったダイエット理論の方が、俗耳に入りやすいだろう。

ウイグル話法、あるいはwhataboutismとは、理論・立場の一貫性を求める訴えである。ヒトラーは、個人的にお世話になったユダヤ人を特別に助けていたらしいが、仮にヒトラーがユダヤ人を匿った男に罪を問うたとき

「しかし大総統。あなたは何人もユダヤ人を個人的に助けているではありませんか!」

こう聞かれたら、なんと答えるだろうか? 候補は色々考えられる。

  • 知らん振り・助けていないと突き通す
  • 私が助けたユダヤ人は、良いユダヤ人であり、君の匿ったユダヤ人は悪いユダヤ人であると言う
  • 素直に罪を認めて、その男を許す
  • 素直に罪を認めた上で、その男を殺す

ダブスタ・ダブルスタンダードが非難されるのは、それが横行すると正義あるいは法・倫理の秩序が保てないからだ。

つまり、ウイグル話法=ダブルスタンダード批判は、「依怙贔屓して何が悪い」と居直られると、批判の力が霧消する。だが、居直った人間は往々にして社会的評価を失うのでそんなことはしない。

(過去に、私はダブルスタンダードについて意見を述べている。気になる人は読んでください)

民族浄化のモノポリー

ナチスのホロコーストを語る人、ナチスの犯罪について語る人に対し「ソ連がウクライナに対して行った、計画的飢餓計画について述べていない。お前は反ドイツ親ロシア野郎だ!」と言う人がいたとする。

アホらしい指摘だが、この指摘から悲しい現実が垣間見える。

民族的悲劇の悲惨の序列のようなものだ。

先述の計画的飢餓計画=ホロドモールにしたって、アイルランドのジャガイモ飢饉にしたって(イギリスの計画性が明確に認められる)、ホロコーストと同じ虐殺である。

ガス室はウクライナとアイルランドにはなかったし、ナチスのユダヤ人に対する悪意ほどの悪意はなかったかも知れないが(ヒトラーは晩年、「人類の未来ためにユダヤ人を抹殺する」との盲執にとらわれていたらしい)、虐殺であり、民族的悲劇である。

またホロコーストで殺されたのはユダヤ人だけではない。今ではロマと呼ばれるジプシー、共産主義者(政治犯)、同性愛者、障害者も同様に殺されている。

ホロコーストをユダヤ人の悲劇として語るとき、非ユダヤ人のホロコースト犠牲者は無視はされないにしろ、悲劇の序列のようなもので優先度が下がってしまう。

(「水曜日のダウンタウン」で、「ハンマー投げの日本二位、誰も知らない説」なる説を検証していた。陸上競技の記録の一位があずかる名誉と、二位のあずかる名誉とでは、雲泥の差がある…。これが”悲劇”に関しても当てはまるとしたら、それも悲劇ではないだろうか?)

ウイグル話法への対抗方法

日本人がアメリカでの日本人差別、あるいはアジア人差別について語った際に、「でも日本にも外国人差別はあるではないか?特に黒人はひどい扱いを受ける」と指摘があったとする。

その指摘は正しい。日本にも差別はある。

ウイグル話法・Whataboutismに対抗する一つの手段は、自分以外について語ることだ。日本人が日本人に関して何かメッセージを発するから、そこにナショナリズムを見とられるのであり、例えば日本人がフランスのムスリム差別を訴えれば、ウイグル話法であなたを攻撃する人は格段に少なくなるだろう。

正義は自分の所属するグループを原告にして主張しても、訴求力を持ちにくい。チェーンメールのように、あるいは贈与と負債の理論をベースに、我々でないもののための正義と公平が、世界に恩と負債として巡り巡ると私は信じている。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です