whataboutismとウイグル話法の本質について

この前、Whataboutism=ウイグル話法に関する短い考察を書いた。概ねWhataboutismに関して批判的なトーンで書いたが、最近またWhataboutismについて考えている。
きっかけはジョージ・フロイド氏の窒息死に端を発するBlackLivesMatter運動の再燃である。
日本でも東京や大阪などの都市部でBLMデモが執り行われたが、このデモに対して「アジア人差別のときは声を上げなかったのに、なぜ黒人差別のときだけ反応するのか」との指摘を少なからぬ人が発した。。
典型的なWhataboutism・ウイグル話法だが、『「この世のすべての理不尽に声を上げなければ、何かに抗議してはならない」というのは、詭弁である」と一蹴できない気がしている。
理不尽と依怙贔屓と差別とWhataboutism
集団で犯罪を犯したとき、他のメンバーは無罪放免になり、あなただけが捕まったとしよう。
あなたはアジア人であり、残りのメンバーは白人だったとする。このとき「アジア人だから自分だけ罪を負わされたのではないか?」と疑うことに、正当性はあると私は考える。
それは、例え警察からもっともらしいあなただけが捕まった理由を聞かされようと拭えない疑惑である。
ボクシングの試合中、相手は蹴りを使ってもレフェリーに何も言われないのでこちらも蹴りをかましたら反則負けを言い渡される。
Whataboutismが真に必要とされるのは、このようなシチュエーションだ。
「私にだけルール・罰則が適用されて、この者・この集団にルール・罰則が適用されないのは何故なのか?」
描かれていないコードを探す旅
この世界には差別がある、あるいは特定の人物・集団にしか適用されないのルールと罰則が存在することを前提にその書かれていないルールを探そうとすると、
- 差別されている集合A
- 差別されていない集合X
の二つが必ず登場する。
実世界に適用すれば、もっと複雑になる。「それほど差別されていない集合B」なども浮かび上がるだろう。
また、恣意的なコード・ルール・罰則には、このコードで「利益を享受している主体」も想定される。先ほどあげた例のうちの「蹴りを放っても審判から何も言われないボクサー」のような。
「利益を享受している主体」が「隠された差別的なアジェンダ」=特定集団のためのアジェンダがある。
そう考えたとき、Whataboutismが発動する。
無意識なのか意識的なのか
「ユダヤ人はなぜあれほど経済的分野において成功しているのか」と考えたとき、「ユダヤ人は不正をしている」と考えるのは典型的な陰謀論者の主張だが、ここで「ユダヤ人は神から選ばれし民族だから」と考えれば、少なくともユダヤ人への敵対心は失せるだろう。サタニストでもない限りは。
BlackLivesMatterに関しても、芸能人・一般人の活動参加は無意識から来るVirture Signaling =いい人アピールかのか、意識的な戦略と捉えるのか分岐する。
「いい人アピール」に対して、人は怒り狂えない。誰もがやっていることだし、正直さから由来するものであっても、露悪的な言動は歓迎されないからだ。
Whataboutismが見出すのは、悪意ある主体である。悪意なる表現が過剰ならば、「隠されたアジェンダ」「不正直な主体」と言い換えても良い。
依怙贔屓=悪意=隠されたアジェンダを抽出するために「What about that」と問いかける。
また、悪意があると見なしうる主体であっても、最初から「私は性差別主義者です」「白人至上主義者です」と自称している場合はWhataboutismが発生しない。
「私は黒人の生活と命に関心がないので、黒人差別には声を上げません」と言えば告発が終わるからだ。その人のメッセージがどれほどの効力を持つのかは分からないが。
この世の全ての理不尽
日本で外国人(らしき)人が警察にやたらと職質される現象に対し、「ロシアでも同じことが発生している! ロシアの人種によるプロファイリングに反対しないお前は反日新ロシア野郎だ!」と反応するのはバカバカしい。
だが、「人種で警察に職質される割合が変わるのは日本だけだ」という主張に対しては、そうではないと上記の例やアメリカの統計を示せる。それには正当性がある。
また、ホロコーストは教科書などで頻繁に取り上げられるのに、ホロドモールやアイルランドの人工的なジャガイモ飢饉は取り上げられないのか。
ホロコーストが特別で特殊な事件だからなのか。それともユダヤ人が特別扱いされているのか?
結論は出せないが、白人が理不尽に警察に殺害されても暴動が起こらないのに、黒人が理不尽に殺されると暴動(他人種を巻き込んで)が起こる心理的メカニズムは、考察に値する。
……本か何かで、「差別感情というのは、家族愛と起源を同じくする」と呼んだことがある。
だとすれば、ラディカルで徹底的なWhataboutismは、家族制度の破壊でしかなし得ないのかも知れない。
(数日前、あらゆる差別をなくす方法について考察をした。それも併せて読んでいただきたい)。

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