「わからない」のは良い兆し

「頭がいい」という形容を、「ロジックを上手に使える」くらいの意味で使っている。不思議なのと、情けないのと入り混じった感情を抱くのだが、ロジックとは何なのか説明ができない。

クイズヘキサゴンにレギュラー出演していた つるの剛が、ほんとうに分からなくてとんちんかんな回答をする場合と、ボケ回答の見分け方として「なぜその答えに至ったか」説明できるかどうかだと言っていた。

どれほどロジカルであっても、前提が間違っていれば、正しい答えは導けない。

柳の下のドジョウということわざがあるが、これは柳の下にドジョウが必ずいることも、いないことも意味しない。

素朴実在論という反省

反「座右の銘」として、戒めの言葉として、類感呪術や権威などのワードを常に懐にストックしていると述べたが、最近そのリストに素朴実在論が加わった。

世界は見たままに存在するわけではない…これは反素朴実在論と定義付けられるだろうが、この態度がないと、私が散々エンカウントしてきたクソアホと同類になってしまう。

専門用語と敷居

専門用語・業界用語というのは、サークル外には伝わらない。語意が伝達されない。

目的論だとか、超越論的だとか、あるいはアセンブリ言語だとか、未だによく私は意味をよく分かっていないが、狭いサークルを読者層として意識する限り、いちいち日常言語に変換する必要はないだろう。

非日常語彙は、議論の正確性を保つために用いられる。もちろん、相手に知的権威を見せるための目的もあるだろうが、わけのわからない理論は歴史が淘汰してくれるだろう。

簡単なことをわざと難しく語っているケースはあるのか?経緯は分からないが、これなんかはそうかも知れない。ただ、普段からずっと外国語の文献を読んでいると、その言語の語彙をそのまま使うことが自然な仕草になることはある。私からの擁護である。

難解

詩の批評だとかを読んでいるときに、「この”壺”は、皿の対比として付置されている」だとかの文章に会う。

そもそも、対比してるからそれがどうしたんだと思う。これは、難解以前の段階「わからない」だろう。

  • わからない
  • 難解
  • ナンセンス

難解というのは、少なくとも哲学書の類である限り、ロジックを読者が形成できないことではないだろうか?

命題Aにおいて、「ナンセンス」というのは、「わからない」ことを前提に、あるかもしれない「価値」を、ないものとすることだろうか?

難解である理由の一つ

言説内におけるロジックを追いにくくする効果・必要性があるようなテクストはあるのか?

それは分からない。今の私には答えられない。しかし、「哲学書の内容が”分かる”のは、かつて似たようなことを考えていたからである」と、どこかで読んだ記憶がある。私も大方同意する

とすると、「分からない」テクストは、かつて私が考えたことがない内容について語られていることを意味し、それは喜ばしいことではないだろうか?

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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