ジジェクはなぜ知恵:Wisdomに批判的なのか

スロベニアの哲学者ジジェクは、ときどき、知恵:Wisdom  に反対の立場を表明する。彼が言うWisdomが何を指すのかは、文脈によってかなり違い、射程の広いワードなのでよく掴めない。

彼は「ことわざ」と「ニューエイジ系の思想」も、Wisdomだと指摘する。…著書:「信じるということ」において、

ニューエイジのWisdomは、『我々は”ポストヒューマン”時代に突入した』と主張する(出典:「One belief」 35ページ)

とあるが、同時に金言・箴言として現れたWIsdomにも反対している

…どこかで言っていたか書いていたが忘れたが、ジジェク曰く「Wisdomというのは、『循環する世界観=(変化がない社会)』を前提にしている。『発展していく世界観(=技術革新などがある社会)』ではない」。

それはそうかも知れない。そして「昔から言い伝えられてきた知恵」は、各国存在するだろうが、その知恵は今よりもずっと変化がゆったりとしていた時代の産物である。

…日本の有名なことわざ「石の上にも三年」に、私は反発を抱いている。三年は長いだろう。それに、石の上に三年もいてどうするのだ。

ジジェクは「反対する(=opposed to)」と言明するとき、往々にして「Radically(=根本的に)」あるいは「Generally(=一般的に)」を枕にする。この仕草は銘記に値するだろう。反対するにしろ、根本・原理・原則・立場・イデオロギーに反対するのと、表層・皮相・表現に反対するのとでは、まるで違う。後者は言い方によっては「同意する」まで持っていけるだろうが、前者では不可能だ。

(ちなみに、ジジェクは「一般的に、知恵に反対する」と言っている)

自然崇拝と多神教と知恵

ジジェクはこの動画内で、知恵:WIsdomについて語っている。彼はこの動画内において「Wisdom is pagan」(=知恵とは多神教的・自然崇拝だ)と謎めいたステートメントを発しているが、このアーティクルで(おそらく)彼の言いたかったことが書かれている。

ジジェクは知恵を、ここではこう定義している。…正確には、”知恵の究極的核心”だが

知恵の究極的核心(=Ulitimate point)は、我々が生きているこの世界=地上は、嘘偽りで構成された始原的原因の混沌である。善と悪、真実(=Rallity)と見かけ(=Appearence)…等々

言っていることがかなり難しいし、うまく翻訳できてはいないが、全文を読んでもこの箇所が言いたいことは掴みにくい。

(ジジェクはまた、上述のステートメントの後、「知恵とはPlatitudeだ」とも書いている。Platitudeというのは、”金言・ことわざ”を悪く表現したものだ)

ただ、ジジェクが人間の本生(Human Nature)を警戒しているというのは分かる…。彼がPaganを名指すとき、そこには「二元論的世界観」も暗に含んでいる。そして、知恵:WisdomがPaganならば、論法上「知恵は二元論的世界観である」となる。

ジジェクは二元論的世界観について言及するとき、シリアスである。理由は分かる。なぜなら二元論的世界観(善悪二元論と換言もできるが)は、理論的帰結として必ず苛烈な排外主義・差別を導き出すからだ

そして、ジジェクは度々イデオロギーを「知らないが、信じている」≒「無意識に作用するもの」として言及している。ここから、Wisdomはイデオロギーとして作用し、それは排外主義と差別をアクションに結びつくとロジックのジャンプが多い結論を出すこともできよう。

ここで当然「善悪二元論的なのは、むしろキリスト教などの一神教であって、多神教ではないんじゃないか?」という疑問も浮かぶだろう。

これは答えるのに難しい質問だが、かつて隆盛を極めていたマニ教などは、肉体を悪、霊性を善と見なしていたことに留意して頂きたい。

…ニューエイジ系の思想の危うさとは、善悪の基準を神の権威抜きの良心で構成してしまうことだろう。

人権と価値相対主義

ジジェクは同論文で、プラハ生まれの劇作家・演劇人であるヴァーツラフ・ハヴェルを引用している。そこでハヴェルは

人間の権利、人間の自由、人間の尊厳とは、知覚できるこの世界の外側に起源をもつ」と述べている。

ジジェクはまた、今は亡きユーゴスラビアの騒乱についても述べている。ユーゴスラビアの解体過程では、暴力や民族浄化が横行したのだが、それに対し「全てはカタストロフィだ。誰が”悪い(=Guilty)”のかは関係がない。共に生きる道を学ぶべきだ」あるいは「平和について考えるべきだ。武器をこれ以上持ち込むのは止めよう」というステートメントが、深みあるものに聞こえようが、それは False であるとも述べている。
(追記:なぜFalseか。「全てはカタストロフィだ』うんぬんの言説は、人権・人間の尊厳を守らんとして発せられた言葉であるのに、その発言には人権保護意識が抜け落ちているからである)

…人(人々は)、武器を持ち上げ、暴力を振るわねばならないときがあるとジジェクは言っているわけだ。そして暴力の正当性は、人権や自由と同様に、究極的には知覚不可能である。

人権とは、立法府から国民を守る概念であると同時に、国民から国民を守る概念でもある。

アナロジーの魅力

金言・ことわざというのは、誰か一人それを言い出した人がいて、口伝えで広まっていく。このことから、「ことわざというのは、良いものだけが残っている」「嘘のことわざは、広まらなかった」と主張することもできるだろう。

しかし、”一般的に信じられているから真実”と主張するのは、歴史を振り返ればそうでないことが分かる。

「知恵の権威性」とは、ねじれた地点では「多数決」と「直接民主制」の権威性と換言できるかも知れない。なぜなら、知恵を流通させるのは人民であり、その知恵=金言を正当化するのも人民だからだ。

これは難しくて、多数決が絶対的正義なら、いじめなどは当然していいし、死刑だって嫌いなやつに宣言したって良い。直接民主制は…正確には、憲法抜きの直接民主制だが、これも多数決の暴力を発動させる余地がある。

ジジェクの言う知恵:Wisdomに欠けているのは、「権威=不可侵性=聖性」の欠如である。二次的には、真理の追求を「まやかし」だと一顧だにせず退けてしまう傲慢さと、知的怠惰を含んでいる。

(欧米の書物を見ていると、金言・ことわざの引用が日本に比べ多いかも知れない。その事情も噛んでいるだろう)

ほんとうの考え

ほぼ日新聞で読んで印象的だった吉本隆明の、サインをお願いされたときに書く言葉。

ほんとうの考えと 嘘の考えを分けることができたら その実験の方法さえ決まれば

-宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

このステートメントは、

intellectual(知識人)と、pseudo-intellectual(似非知識人)を分けることが出来たら…

と言い換えることもできるだろう。ジジェクが知恵:Wisdom に反対するのは、それに反対しないと人がWisdomの陥穽に陥るかも知れないという懸念があるからだ。

(穿ち過ぎかも知れないが、ジジェクにとっては戒め・自戒でもあるだろう。少し論点はズレるが、懐疑主義的態度から、一転して神秘思想を展開した思想家は少なくない)

ちなみに、吉本は「嘘の考えを分けることができたら」と書いているが、こちらでは「嘘の考えとを分けてしまえば」とある。おそらくは、吉本の記憶違いだろう。そして、吉本の間違い方は美しい。

桜田真助
  • 桜田真助
  • 92年大阪生まれ。なにもかも分かったような気に最近なっていて、これはダメだなと焦って疑問を探している。プロフィール画像は友人(@leilamarinacb)から頂きました。

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