フィクションはフィクションであることに開き直れない

大西巨人の神聖喜劇には、数限りなく他作品の引用がある。こちらの公とトークイベントでは、小説をより豊穣なものとするため、独立した小宇宙を構成するための手段だとの考察がなされている。
会場にいる人から「SMAPが出ているドラマを見ているときに思ったが、この世界ではSMAPおよび木村拓哉は存在しない世界なのだろうか」なる質問があった。
大西巨人の小説にも「神聖喜劇」をもじった作品は登場するが、今まさに書かれている神聖喜劇の小説とは別物の小説として登場する。
ネットフリックスのオリジナルドラマ「オレンジ イズ ザ ニューブラック」で、ビヨンセなどの現に存在する有名人に言及されるが、オレンジイズザニューブラックはドラマとして、そのドラマだけは存在しない世界、そのドラマに登場するキャラクターだけは存在しない世界のなかの出来事を見ているような気がした。
(話はズレるが、フィクションは特に断りがない限り、我々が生きているこの世界がベースとなっている。「南北戦争で南軍が勝った設定の世界観だが、その設定が特に働くことはない」フィクションも想定はできるのだがみんなやらない)
フィクションがフィクションであることに開き直れない理由
なぜその作品には、その作品のワールドマップには「その作品」あるいは「実作者」「演者である役者」が登場できないのか。
もちろん登場は”できる”。第四の壁をこわそうとする作品(演劇の上で演者が急に観客に語りかけるものなど)は無数にある。メタフィクションもそうだし、漫画のコマ外にある作者の書き込みも第四の壁にふれかけてはいる。
素朴な(そして核心をついてもいる)答えとして「つまらないから」なるものを用意できる。ではなぜつまらないのか?
メタフィクション即ち退屈なものではない。そうではなく、例えば演劇場で舞台の演者が役柄であることを辞めてしまうと、その物語が立ち消えてしまう。人は芝居を見に来るとき「芝居」を見に来ている。作り物を見に来ている。だからフィクションはフィクションであることに開き直らず第四の壁を壊さないようにする。
メタフィクション・メタフィジクス(形而上学)の「メタ」は、「上位の」「高次の」を意味する。
演劇の舞台の上の役者の役柄に沿わない振る舞いが、その役柄だけでなく物語そのものを壊してしまう現象は、よくよく考えてみれば不思議である。その舞台(フィクション)にも「強度」はある。すこし笑いをこらえきれずに笑いをこぼしてしまっても、物語に亀裂ははいれど完全に壊れてしまうことはない。
(そういえば、不意のそぐわぬ笑いを舞台上の人間は腕で隠したり、後ろを向いて見せないようにする)
定着してしまっている表現がゆえに、「メタ発言」がなぜ”メタ”なのかわかりにくくなっているが、作品中に作品外の、作品中の出来事や人物がほんとうにそう信じて行動しているのではないことの印が現れてしまう発言が、なぜ「メタ」=「高次の」なるワードをもって示されるようになったのか。
別に、「メタ発言」がメタ発言と呼ばれていない世界は存在しうるし、英語圏では別に「メタ発言」や「メタい」などの表現は用いられていない。「Breaking Character」だとかそんなワードを使う。日本語だと「キャラを壊す」だろう。
舞台の半分が「キャラを壊す」演技をして、もう半分がキャラや世界観に沿った演技をしたらどうなるのだろうかと考えている。
しかし、半分メタで半分非メタ作品というのは、それはそれで作為が感じられるため、観客もそれほどざわつかないことが予想できる。
一番観客の予想を裏切れるのは、違和感を残せるのは、物語の中盤、キャラが不意に例えば「この後この舞台が終わったら、家に帰ってガスの元栓切らなきゃいけない」とつぶやき、そのあとずっとキャラ通りに演じることだろう。物語の終盤だと効果が薄くなる。特にラストは物語が崩壊する・終幕するときなので、半ばやりたい放題の空間である。
共作小説においての思考実験・メタ発言
四人の作者が一つの小説を、共作で書き上げたとする。その小説のうちに作者の身辺情報やキャラクターの造形作りを語ったところで、小説の世界観はそれほど壊れないだろうなと思う。
その発言に真正がないからである。四人のうちの一人の発言であり、他の作者はそうではない。
だがここまでくると、どの情報を信じるかの問題になってくる。メタ発言であるかどうかの判断は、作品の内部ではなく作品の外部にあるからだ。これは作品がフィクションであるかないかの判断と同じで、小説の棚に並んでいるからフィクションと判断され、そうでなければノンフィクションだと判断される現象と同一である。
フィクションがフィクションであることを隠そうとするのは、隠すことがフィクションの手段だからだ。フィクションとは嘘であることを隠さない嘘であり、目的はおもしろい嘘をつくことである。

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